グループ展を開催します。
ぜひお越しください。
「ふうけいのまにまに」
期日:2025年8月2日(土)~10月5日(日)
時間:9:00~17:00(最終受付16:30)
場所:信州高遠美術館
展示全体のコンセプト
出展作家一同
「ふうけいのまにまに」は、風景に従う、あるいは風景のあるがままにというような意味である。
「まにまに(随に)」は、他の人の意志や事態の成り行きに任せて行動するさまを表す。万葉集などにもつかわれている古来の表現だ。成り行きに任せるというと主体性に欠けた表現のようにも聞こえるかもしれない。しかし私たちは目に見えない、あるいは超越的な、漠然と大きな何かを感じ取り、素直に従い、かたちを起こすというような感覚をこの言葉に共有した。
「風景」という言葉の持つ曖昧で多義的な意味に対して、私たちそれぞれの考えは必ずしも一致しない。しかし、私たち4人が「ふうけい」と呼ぶものに対して取る手段は手を動かすことで共通していた。経験される風景の実践であれ、内的風景への沈思であれ、日常の風景の再解釈であれ、目の前の風景への介入行為であれ、ただ私たちは愚直に、「まにまに」制作して考えるという点で通じていたのだ。
信州で生まれ育ち、あるいは生活を営む私たちのこのような制作態度そのものが、この地の「ふうけいのまにまに」培われたものだろう。手を動かすことは思索であり、試行であり、あるいは修練であり、問いを立てる振る舞いでもある。日々を生きる私たちの痕跡とも言える。
私たちはそれぞれの見つめる「ふうけい」を、信州高遠美術館という既設の風景に編み込む。本展覧会が、この美術館と普段何気なく見つめるさまざまな「ふうけい」の可能性となるとともに、新たな対話の契機になることを願う。
本展示について
津田翔一
本展示「ふうけいのまにまに」においては、左美都村(長野県長野市信更町三水)に伝わる伝承「アケビ」に登場する人物たちが歩いた道の風景が、油彩画を中心に、模擬考古資料や実際の考古資料を交えて表現されます。
展示空間は、左美都から長野盆地へと至る往路と復路をそれぞれ表す二点の油彩作品で構成されています。さらに、伝承や地域史に基づく古文書資料、土器などの模擬考古資料、そして書籍『左美都の神話と伝承』と『アケビ』のサンプル展示が加わり、空間全体が一つの物語(=いと)として立体的に立ち上がります。
展示室の導線は、東壁面・南壁面・西壁面・北壁面と巡る構成で、中央部には資料閲覧スペースを設置しています。展示物は、長野県立歴史館と高遠町歴史博物館の協力を得て実際の地域資料も交えて、左美都の資料と比較しながら展示されます。この手法により、美術作品としてだけでなく、考古学・歴史学的資料を閲覧するような感覚を来場者に提供し、左美都の〈いと〉や「アケビ」の伝承の内容にさらなる裏付けと奥行きを与え、多面的な理解を促します。ただし、展示物の多くは事実に基づいているとはいえ、あくまでも一次創作のフィクションであることにご留意ください。
このように、今回の展示ではこの一連のプロセスを突き詰めた結果、私の展示空間は外部からのキュレーションであるかのように構成されます。私自身もまた、その場に招かれた一人の作家であるかのように、自らの作品や空間と距離を取りながら展示に参加するのです。
美術を通して異なる分野が複合し、新たな視点や理解が生まれること。それは私の夢のひとつです。
〈物語(=風景、いと)〉のまにまに(随に)生まれたそれらの断片を通して、観る方それぞれの〈いと〉によって〈物語〉が織りなされていくことを願っています。
展示内容に関する質問も受け付けておりますので、お問い合わせフォーム等からお問い合わせください。
ステートメント(制作の姿勢)
津田翔一
私は事物の存在に纏わるあらゆる傾向を、〈単位世界(=洞窟)〉を構成する最小の事物(=いと)と捉え、制作しています。
〈いと〉とは、〈物語〉のそれ以上細分化できない要素です。そして〈物語〉とは、人間存在そのものです。なぜなら、私たち人間はすべてを〈物語〉として理解し、機能させて生きているからです。
また、〈単位世界〉という造語的表現は、私たちが所属し生活しているこの世界が唯一・単一ではなく、複数の重なりや断片、もつれからなることを前提に、そのなかの個別の世界のひとつを指すためにもちいています。
私にとっての〈いと〉は、自分が生まれ育った場所である"左美都(さみず、現在の長野県長野市信更町三水)"という地域です。ごく私的な経験を起点とし、その土地に深く根ざした記憶(歴史)や地質、感覚と向き合うことで、私はこの〈洞窟〉の根源を探ろうとしています。なぜ私たちは、別の場所で生まれ育つことができなかったのでしょうか?
私の制作の出発点となるのは、油彩による描画です。描画の過程(=脱領土化)を通して〈いと〉が見いだされ、次に、あるいは同時にさまざまな手法による解釈・再読(=再領土化)が始まります。再領土化される表現は、絵画にとどまらず、映像、立体、インスタレーションといった多層的な形式へと展開し、複合していきます。
スズラン
ΑΦΡΟΔΙΤΗ
2022
162× 130.3 cm
油彩・キャンバス
Oil on canvas
「スズラン」の作品解説
左美都研究会、水澤井縄
スズランは、その名の通り鈴のような小さな白い花をつけ、葉の間にひっそりと咲く植物です。群生して咲くことが多く、控えめながらも清らかで可憐な印象を与えます。また、その芳しい香りは、目に見えない存在感を放ちます。一方で、その美しさとは裏腹に、強い毒性を持つという二面性も持ち合わせています。
絵画の中心を占める柔らかな白い塊は、スズランの純粋で無垢な花々を想起させます。それは、対象の具象的な形を直接的に描くのではなく、その本質的な「気配」や「雰囲気」を捉えようとする津田の姿勢を示唆しているのではないでしょうか。スズランが葉陰に隠れてひっそりと咲くように、津田の作品もまた、一見すると抽象的でありながら、その奥に秘められた生命の息吹や感情の揺らぎを静かに表現していると言えます。
作品全体に広がる流れるような色彩と形態は、スズランが群生し、風に揺れる様子や、その香りが空間に溶け込んでいく様を視覚的に表現しているかのようです。津田は、具体的な描写に囚われず、色彩と光の相互作用によって、対象が持つ「生命の躍動」や「内なるエネルギー」を抽出しようとしているのかもしれません。これは、彼の制作が、単なる視覚的な模写ではなく、感覚や記憶、そして感情といった非物質的な要素を絵画空間に定着させようとする試みであることを示しています。
スズランが持つ「毒性」という側面は、作品に潜む、一見しただけでは分からない複雑さや、美しさの裏に隠された何かを示唆している可能性もあります。津田の作品が持つ、見る者を惹きつけながらも、どこか捉えどころのない神秘性は、スズランの持つ二面性と共鳴しているのかもしれません。彼は、単なる表層的な美しさだけでなく、生命の持つ多層性や、時に潜む危うさをも表現しようとしているのではないでしょうか。
朝焼け
2021
97 × 162 cm
油彩・キャンバス
Oil on canvas
「朝焼け」の作品解説
左美都研究会、水澤井縄
夜明けの空を彩る壮大な光景を、津田独自の感性で抽象的に表現したものです。画面上部には、燃えるような赤、暖かなオレンジ、そして淡い黄色が複雑に混じり合い、刻一刻と変化する朝焼けの空の色を想起させます。その色彩は単調ではなく、まるで空にたなびく雲や光の帯のように、有機的なうねりを伴って横たわっています。
画面の中央部から下部にかけては、澄んだ白から鮮やかな水色、そして深いターコイズブルーへとグラデーションが展開しており、これは水平線から昇る太陽の光が、やがて来る日中の青空へと移ろいゆく様、あるいは朝焼けに照らされる水面や雲海の情景を描いているかのようです。特に、白く波打つようなラインは、光を反射する雲の層や、あるいは静かに息づく大地、あるいは海の広がりをも示唆しているように見えます。
津田の作品に共通して見られる、具象的な形にとらわれない流動的な表現は、この「朝焼け」においても遺憾なく発揮されています。彼は、対象の本質を捉えようとしています。朝焼けという一瞬の、しかし力強い自然現象が持つ感動や、光と色彩が織りなす神秘性を、見る者それぞれの風景として喚起させることに成功しています。
so far
2019
162 × 163 cm
油彩・キャンバス
Oil on canvas
「so far」の作品解説
左美都研究会、水澤井縄
画面全体を支配するのは、深い黒からグレイ、そしてわずかに青みがかった白へと移ろう、モノクロームに近い色彩構成です。光沢を帯びた、あるいは濡れたような質感を持つ有機的な形態が、闇の中から浮かび上がるように描かれています。これらの形は、明確な輪郭を持たず、互いに絡み合い、あるいは重なり合いながら、画面いっぱいにうねり、渦巻いています。まるで深海の生物、あるいは未知の植物のようでもあり、見る者に神秘的で、時に不穏な感覚を抱かせます。
津田特有の流動的な表現はここでも健在ですが、開放的な明るさや色彩の躍動感とは対照的に、より内省的で、深淵な世界観が表現されています。光と闇のコントラストが際立ち、部分的に現れる白いハイライトは、暗闇の中に差し込む一筋の光のようにも、あるいは秘められた感情や記憶の断片が表面に現れたもののようにも見えます。
「so far」というタイトルとこの暗いトーンは、津田がこれまでの制作の過程で直面してきた葛藤や探求、あるいは未来への不確かな見通しといった、より個人的で深層的なテーマを扱っている可能性を示唆します。それは、必ずしも明るい感情ばかりではなく、内包する複雑さや陰影をも含めた、ありのままの「これまで」の道のりを表現しようとしているのではないでしょうか。
林
2021
97 × 162 cm
油彩・キャンバス
Oil on canvas
「林」の作品解説
左美都研究会、水澤井縄
森や林の中に立ち並ぶ木々の情景を、津田独自の抽象的な表現で捉えたものです。画面全体を縦に走る、細長く流れるようなストロークが、樹木の幹や枝、あるいは木々の間に差し込む光の筋を思わせます。
色彩は、緑、青、紫、そして淡い黄色や白が複雑に混じり合い、非常に豊かで幻想的なパレットを形成しています。これらの色は、森の奥深くで移ろいゆく光、葉の隙間から漏れる木漏れ日、あるいは湿った土や苔の色など、自然の織りなす微細な色彩のグラデーションを表現しているかのようです。特に、津田の作品に共通する、色彩が互いに溶け合うような滑らかな表現は、木々の間を漂う空気や、光が織りなす空間の奥行きを感じさせます。
具体的な木々の姿を描写するのではなく、縦に伸びる色彩の帯として表現することで、津田は「林」という空間が持つ普遍的な雰囲気や、そこに存在する生命のエネルギーを抽出しています。それは、風に揺れる木々のざわめき、鳥のさえずり、そして森全体を包み込む静寂といった、視覚だけでなく、聴覚や触覚に訴えかけるような感覚的な体験を呼び起こします。
上に溶ける…
2021
162× 130.3 cm
油彩・キャンバス
Oil on canvas
「上に溶ける…」の作品解説
左美都研究会、水澤井縄
画面の大部分を占めるのは、白を基調とした、とろけるような、あるいは流れ落ちるような有機的な形態です。これらの形は、まるで液体が固形物から溶け出し、重力に逆らうように上昇していくかのような動きを感じさせます。部分的に灰色や薄い青みがかった陰影が加えられることで、形態に奥行きと量感が与えられ、その物質的な存在感が強調されています。
そして、画面の右上部には、強烈な光を放つかのような鮮やかな黄色が配されています。この黄色は、まるで光源であるかのように周囲を照らし、また、画面下部から伸びる白い形態が、この黄色い光に向かって上昇し、まさに「溶けていく」かのように吸い込まれていく様子を描いているようです。黄色と黒のコントラストは非常にドラマチックで、光と闇、生成と消滅といった対極的な概念を想起させます。
この「上に溶ける・・・」というタイトルと絵画の内容からは、津田が人間の(内面)世界、存在の本質、あるいは生と死といった深遠なテーマに向き合っていることが伺えます。彼の得意とする流動的な表現は、物質と非物質の境界が曖昧になり、形が変容していく様を完璧に捉えています。この作品は、見る者それぞれの心に、解き放たれる感覚、あるいは新たな始まりへの予感をもたらす、示唆に富んだ瞑想的な一枚と言えるでしょう。
夕焼け
2021
162× 130.3 cm
油彩・キャンバス
Oil on canvas
「夕焼け」の作品解説
左美都研究会、水澤井縄
一日の終わりを告げる「夕焼け」の情景を、津田ならではの抽象表現で捉えたものです。画面全体に広がるのは、燃えるような赤、深いオレンジ、そして鈍く輝く金色の光が混じり合う、壮麗な色彩の饗宴です。
画面上部には、沈みゆく太陽の光が空を染め上げる、最も鮮烈な赤とオレンジの領域が広がり、その色彩は力強く、見る者の視線を惹きつけます。そこから下方へと、色彩はより複雑に混じり合い、深い青や緑、紫といった色味が顔を覗かせ、夕暮れの空が持つ神秘的なグラデーションを形成しています。津田特有の、流動的でうねるような筆致は、雲の動きや、光の帯が変容していく様を巧みに表現しており、一瞬として同じ表情を見せない夕焼けの移ろいを完璧に捉えています。
この作品は、単なる風景の描写に留まらず、夕焼けという現象が持つ、郷愁や安堵、あるいは一日の終わりを惜しむような感情までもが内包されているように感じられます。光が消えゆく瞬間の美しさと、それに伴う静けさや瞑想的な雰囲気は、津田がこの自然現象から感じ取った深い感動を、見る者へと伝えています。
リリス(胸部)
Lilith Remnants-2
2020
116.7 × 91 cm
油彩・キャンバス
Oil on canvas
「リリス(胸部)」の作品解説
左美都研究会、水澤井縄
神話や伝説に登場する存在、「リリス」という名称が冠されていることから、より深い精神性や人間存在の根源的な側面を探求したものであることが伺えます。英語のタイトル表記にある「Remnants」(残滓、痕跡)が示す通り、リリスという存在の痕跡、あるいはその本質的な要素が抽出され、表現されていると解釈できます。
画面を構成するのは、白、薄い青、そして深く鮮やかな紫といった色彩が織りなす、流動的で有機的な形態です。これらの形は、まるで人体の一部、特に「胸部」というタイトルから、身体的な曲線や内臓、あるいは生命を宿す臓器のようなものを抽象化したかのようです。中央の濃い紫色の部分は、血脈や生命のエネルギーの源泉を暗示しているかのようにも見え、見る者に強い印象を与えます。
津田特有の、色彩が互いに溶け合い、形が曖昧に変化していく表現は、この作品において、肉体と精神、具象と抽象の境界を曖昧にする効果を生み出しています。リリスという存在が、神話において、既成の秩序に抗い、自由を求めたとされる強い女性像であることを踏まえると、この作品に描かれた有機的な形態は、単なる肉体の描写ではなく、リリスが持つ根源的な生命力、情熱、あるいは抑圧された感情の奔流を表しているとも考えられます。
特に、上部から流れ落ちるような、あるいは溶け出すような紫色の筋は、リリスが持つ神秘性や、時に恐れられるほどの強烈な魅力を象徴しているのかもしれません。白と青の背景は、その存在の純粋さや、あるいは内面の静けさ、深遠さを対比的に示しています。
この「リリス(胸部)」は、津田が、目に見える世界だけでなく、神話や象徴を通して人間や生命の根源、そして個人の内なる葛藤や解放といったテーマへと、その探求の領域を広げていることを示しています。
現在の目標
ヴェネツィア・ビエンナーレ出品(出展)
- (2025.06.29) 信州高遠美術館にて、グループ展「ふうけいのまにまに」を開催いたします。是非、お越しください。
- (2024.06.13) インタビュー記事が掲載されています。ご一読ください。
- (2024.02.04) 長野県松本市のキッセイ文化ホールにて2月4日(日)に行われたイベントに出演しました。